載帽式

後輩の、というか私の出身校の載帽式に行ってきました。婦長が、「私、公休だからやーよ」というので、私が代理で半休とって行ってきました。なぜ私??? とは思いましたが、年に1回は基礎看護とかの講義持ってるからしょうがないかーってことで。むしろ行ってこいと言われた。確かにね(笑)。でも母性看護の講師が怖いから行きたくねーんだよ。



なぜだかしらないけど、この載帽式というのは看護婦にとっての記念すべきセレモニーで、暗い中ろうそくもって一人一人ナースキャップをかぶせてもらい、最後にナイチンゲール誓詞をみんなで朗読するという、どこの19世紀の修道院だよ、と笑っちゃうようなセレモニーであります。ナイチンゲール誓詞を一人一人暗記できるまで居残りしなきゃいけないのよ・・・。むろんやる気のない私は居残り組みでした。てかみんなよく覚えるね、あんなの(笑)。ちなみに、私は載帽式を2回やったのですがまったくもっていい思い出がなく(笑)、1度目は暗闇の中で爆睡してしまい同級生にずっとつねられていて、2度目はろうそくを落として足で必死に消していたという(笑)。もういい加減極まりない。

そんな闇の中で揺れ動くろうそく見ながら、そういや準看学校の同級生の○○さんは私のことを実習のときに、「やる気がないなら帰ってよ! 邪魔しないで!」とか怒鳴り飛ばしたけど退学しちゃったなーとか、セレモニーに感化されて同級生で就職先は大学病院とか救急とかがいいと盛り上がる中、私はもう勉強がいやだから老人ホームか近所の精神病院がいいと発言して失笑を買っていたりしていたことを思い出しました。最初はやっぱり勉強できるところじゃないとってことで。まあ、お勉強やお仕事に対して真面目なのはよいことです。要領のよさだけで世間を渡ってきた私には、そういうことが常日頃たりないのでうらやましい限りだ、と思っていたのでした。

でも準看学校卒業後7年近く経つのですが、結局は同級生の中で正看学校に進学したのは半数で、救急とかICUとか含んだ急性期で働いているのは同級生で私一人で、誰に頼んでも断られるから・・・と泣きつかれて看護学校で講義とか持っているのも私一人で、さらに上級学校に進学しようと考えているのも私一人のようです。あの時私を「真面目でない」と怒鳴り飛ばした人や、私に「いいよねー、勉強しなくても要領がいいから及第できるんだから」とちくちくといじめた人たちは(同級生の8割は私のことを嫌いだったと思う)、あんなに看護に対して熱くうっとうしく盛り上がっていた人たちは、いまいったい何をしているのでしょうか?

私は、「看護というお仕事好きですか?」と言われたら、「だいっ嫌いです」とにこやかに答えるほど看護婦というお仕事は嫌いなのですが、傍目からみるととても適職らしく、よく友人知人から「天職ですね」と言われることも多々あります。どうも最初から自ら望んでこの職に就いたと思われるらしい。こんなに嫌いなのにどうして? と思います。あと10歳若かったらこんな仕事にはつきません(笑)。
確かに、自分で言うのもなんだが、職場における私の判断力の速さや要領のよさや、反省や疑問点を学習で解決しようとする考え方は、確かに看護婦に向いていると思われます。体格もいいし動くことは苦じゃないしね。でもそんなのは社会人として当たり前のことだから、ほめられることではないと思うのですがどうでしょうか。そんなんで天職と言われても・・・。私の天職はもっと違うことがよかったよ(笑)。

そんな風にこの間から「やっぱりいやだわーこの仕事。むいてなーい」と叫んでいたのですが(後輩が進学したいと相談されるためにこんな話題を話す機会が多いのだ)、しかし、この間調べてみて、衝撃の事実がわかったのでした。

「天職」の意味は、「好きで向いている仕事」ではなく、「天子様から『あんたがやんなさいよ』と命令される仕事」と言う意味なんですね! 本人の希望とか、適性とか、そういったものをすべて無視して、天子様が命令するので必ずつかなきゃいけない仕事なんですね!(爆)

確かに、そんな意味であるならば、私のこの看護婦と言う仕事は「天職」なのかもしれません(笑)。どうも私が間違っていた様子です(笑)。