今更かもしれないけれど。


ほんと、イノッチって偉いですね。
27歳にもなって再び高校に入学しようという考えは、素直にすごいなーと感じましたわ。仕事が成功していて、それもすごい不規則で忙しくて、それでも「限界を感じた自分に足りない部分を補うために」という、かなり前向きな考え方で、もう一度頑張ってみようとすることだけでも見ごたえがあるんじゃないかな、と思った。
でも、ここで疑問に感じた事は、イノッチがどれだけ偉いかということより、むしろ、こんなに多様化する日本で、仕事を持っている人間が学校に通うということがこんなに困難なことであるのかという驚きだった。だってさ、今時だから不規則な仕事を持っていて地方に住んでいて配偶者も子供もいるから定期的な時間も取れなくて、という人だって多いのではないかと思うのですよ。でもその様な人だって、自分に欠けている何かを探すためにもう一度勉強してみたいって考える場合もあるのではないかと思うのだけれども、どうなんだろう?
これは、この間友人にも感じたことで、友人は美容とかそれに関する栄養のこととかを考えるのが大好きで、そしてそれは傍から見ていてもきらりと光るものを持っているのではないかと思う。そして彼女もそれを磨きたいと考えていて、栄養士の資格を取るための系統だった勉強をすれば、もっと考え方の幅も広がるのではないかと考えているのだけれども、栄養学を専攻できる学校には夜間が無いので諦めている、という話だ。
ここで、彼女に対して突っ込みところは沢山あると思うし、何も言えない部分もそれ以上にあると思う。私自身は、自分に向いている仕事があるならば、どんなことをしてでも必要な資格を取ったり経験を積んだりしたりするけれども(実際しているし)、それはたまたまそういうことが許されるジャンルだった、というだけで、実は世間的から見るとそれは結構困難なことなのかしら? とも思う。私も、そういう保証の無いジャンルだったら、今の生活は捨てたくないし、捨てて努力したとしても満足いく結果になるとはわかなわない、そういって諦めちゃうのかな〜? 私は全然、今のままじゃダメだとは思うから、必要であったら30であろうと40であろうと勉強したり、必要に応じては学校に行ったりするとおもうけどなー? それっておかしい話なのかしら?? …まあ、大人だからね(笑)、大きい声では言いませんが。
だからこそ、イノッチには頑張っていただきたいものです。少なくともイノッチが頑張ってくれれば、私なんかも堂々としていられる気がしますわ。